喜多やの歴史

その昔、江戸から伝わった伊勢の鰻。
今も孝行鰻として、伊勢で古くから言い伝えられています。

天保十三年から現在に至るまで、およそ一世紀。

約100年もの間今の伊勢にある鰻の伝統を守っています。



 
伊勢市の本町に喜多やが誕生したのは、100年前のこと。
伊勢神宮のお膝元、外宮前あたりは当時、大変なにぎわいでした。
伊勢の鰻「孝行鰻」を伊勢神宮にお見えになった方々に楽しんで食していただくため、現在に至るまでの味と心を伝えております。



 
喜多やは故・西村幸生の生家です。

西村幸生は、昭和12年阪神タイガースへ入団し、同14年までの3年間であったが主戦投手として同12年・13年の両年、日本選手権で沢村擁する巨人に勝ち、連続優勝しました。

豪球に加えて、キレの良いシュートとカーブを絶妙のコントロールで配する、すきのない投法でした。
動いた期間は短いですが、戦前のプロ野球を代表する投手で特にライバル巨人には強かったそうです。

昭和20年4月3日、フィリピン島バタンガスにて戦死、昭和52年山中OBのご尽力で銅像が建ち、同年野球殿堂入りをしました。