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孝行鰻

江戸から伊勢に伝わった鰻。
その鰻まつわる歴史物語「孝行鰻」をぜひご覧ください。
※ 天保十三年   山田奉行より銅五貫を賜る養父母への孝行行の実話です。(宇治山田市史)

百四十年ほど昔のお話。
伊勢神宮の外宮さんにほど近い町に弥吉という若者がいました。

年老いた父親と母親の三人暮らしだった弥吉は幼いころ、両親に先立たれてしまいました。
そんな弥吉を哀れに想い、隣に住んでいた夫婦が引き取り我が子として育てました。

弥吉は、心の優しい親おもいの息子でした。
慎ましい暮らしを送り、いつもにこにこと明るく少しでも親に楽をさせようと、よく手伝いよく働きました。


弥吉は父親の左官の見習いをはじめました。
一日も早く腕のいい職人になろうと、一生懸命、泥を練ったり運んだり壁の下塗りをしたりしました。

夕方は母親の手伝いをして助けました。
弥吉の働きぶりを見て、近所の誰もが関心しておりました。


弥吉が十五歳のとき、
父親の具合が悪くなりました。
それが、十日、二十日過ぎても体の具合は一向に良くなりません。
与吉は「どうすれば体が良くなるのか」と思い悩みました。
そして「体が良くなる薬はないかな?」あちこちに尋ねて回りました。

すると、江戸から戻ったという近所の商人がこんなことを教えてくれました。

「体が良くなる食べ物だと、炙ったうなぎが評判でな。
だから、最近では江戸の町にうなぎ屋さんがたくさん出来たんだ。美味しいし、体にいいからと評判じゃ」

弥吉は、さっそくその日にうなぎを手に入れました。
手に入れるのには苦労しましたがその日の夜、一匹のうなぎを心を込めて焼きました。


「美味いな~。うなぎが柔らかくて、何か力が湧いてくる!」
ひと口食べ、話した父親のその一言に、弥吉は心を決めた。
「父の為に毎日でも食べてもらおう!」

弥吉は左官仕事も慣れてきて、精一杯働きました。
そして、毎日父親にうなぎを焼いて食べさせていました。
その時
「それはそうと、お金がいるな・・・そうや!
いっそのこと、もっとどっさり焼いて・・・うなぎを焼いて売ろう!」
と、思いつきました。

そして、左官の仕事を終えると
休む間もなく、美味しく焼いたうなぎの蒲焼きを持って夕食前の伊勢の町々で、売って歩きました。

「蒲焼き~、蒲焼き~、 焼きたてのうなぎの蒲焼きいらんかね~」

うなぎを売り終えて家に戻ってからは、夜は翌日のうなぎの仕込み。
仕込みを終えたら、弥吉はいつも両親の側に座り、その日にあった出来事をいっぱいお話していました。
両親は弥吉の話を毎日聞くことが楽しみでしたが弥吉もまた、両親に話をするこが、何よりも楽しみでした。

雨の降る日も、風の強い日も弥吉の蒲焼き売りは続きました。


売り始めた当初は、物珍しさで買ってくれる人ばかりでした。
ですが、焼きたてのうなぎの美味しさに「また食べたいな」という客が増え、さらに弥吉のまじめな働きぶりに感心して固定客がどんどん増えていきました。

やがて、弥吉の鰻は「孝行鰻」と評判になりました。
この話は、ついに伊勢をおさめる山田奉行の耳にも伝わり、ありがたいお褒めの言葉と弥吉は銅五貫文をいただきました。
孝行鰻の名はますます町中に広まり、伊勢神宮外宮さんに伝わる伝統の鰻となりました。

その後、弥吉は鰻屋のお店をだし、うわさを聞いて遠くからもお客さんがいっぱい来ました。
弥吉の息子はお店を継いでからさらに家運はいよいよ良くなり、今では伊勢で名高い割烹旅館になっております。

喜多やはこのお話「孝行鰻」の「味と秘技と心」を継承し、鰻一筋かたくなに伊勢流うなぎにこだわっております。